子どもの権利のための政策構想(1)評価について

まえがき

当団体は、「息の詰まりそうな子どもと立ちすくむ大人のマガジン」(2022)において、岐阜県本巣市における「子どもの権利」、特に参加する権利の現状について、さまざまな市民の声をもとに考察した。また本作の出版に先立って、市民大学「よだかの学校」における子どもの権利に関連するゼミ[1][2][3][4][5]の実施や、本巣市市民協働事業「まわる市民協働」における子どもの拠点づくりの実践との連携や支援、子育て支援や子ども支援の実践者へのヒアリングなど、さまざまな取り組みを積み重ねてきた。これらの実践を元に、岐阜県(特に西濃地域)における子どもの参加する権利を推進するまちづくり実践や、地域のよりよい子ども政策の実現に貢献するため、「子どもの権利のための政策構想」と題した一連の記事群を、順次公開する。

もくじ

(1)評価について ※本記事
(2)善意について
(3)意見表明 [予定]
(4)抑圧と優しさ [予定]
(5)話し合うこと [予定]
(6)待つこと [予定]
(7)離れること [予定]
以下未定

評価について−本論

1.評価と競争

息の詰まりそうな子どもと立ちすくむ大人のマガジン」の第4章では、子どもたちが過度に競争的な状況に追いやられている状況を紹介した。例えば、本巣市内の学習塾のスタッフは、次のように語っている。

 (中略)ある中学生の生徒さんは、受験の年でもないのに、夏休みに朝から7時間も家庭教師を付けて勉強させられていました。これはヤバイと思って、お母さんには、「私だって無理ですし、ちょっとメンタルやられてしまいますよ」という話をしました。実際に、その子どもと会った時にも、「そんなんで、大丈夫?」と聞いたら、「もうぼく、限界です」と言っていました。家庭教師の先生は優くて、丁寧に教えてくれていたようですが、ずーっと長い間横についていたら、どんな子だって疲れると思います。

 その子は結局、それだけ頑張っても、テストの点数がほとんど上がらなかった。ショックを受けて、数日間、学校に行けなくなってしまった。お母さんが涙目になって、「息子が学校に行けなくなって…」と相談してきたので、「だから言ったじゃないか」と思いました。お母さん「もう、息子にあれこれ言うのはやめます」、私「それがいいね」、というやりとりをした。何も無ければ自信満々に生きていけるはずの子どもが、学校のテスト一つで、こんなに自信を無くしてしまっている、と思いました。こういうご家庭を、私はたびたび見ています。

息の詰まりそうな子どもと立ちすくむ大人のマガジン,p.34-35

学習到達度を把握して自己改善することが目的のはずの定期テストのために、子どもたちは「もうぼく、限界です」と吐露したくなるような息の詰まる状況に、過度に競争的な状況に、簡単に追い込まれてしまう。マガジンでも紹介した通り、日本は、国連子どもの権利委員会から、20年以上に渡って「過度に競争的なシステムを含むストレスの多い学校環境から子どもを解放するための措置の強化(原文ママ)」を求められている。引用したケースは、特殊な事例ではない。多くの子どもが、こうした状況の中に置かれているのだ。

本記事のテーマは「評価」だ。上記のケースにおいて「評価」はどのように用いられ、どのように機能しているのだろうか。このケースで登場する評価は、具体的には「学校のテスト」だ。点数が低いと、子どもも親も不安になる。点数を上げるために、たくさん勉強しなくてはいけない。それでも中々結果が出ず、ある時、何かが折れたり、誰かが傷付いてしまう。こうした出来事は、日本では、当たり前のように繰り返されてきた。

評価は、評価される側にとって、目的を変更するように迫る力を持つ。上記のケースで言えば、「よりよい学習のための評価」のはずが、いつのまにか、「よりよい評価(結果)のための学習」に置き換わってしまうのだ。そして、評価と魅力的なインセンティブが結び付いた時に、「目的を変更するように迫る力」は最大化する。慎重な配慮のない評価制度は、プレイヤー一人一人の動機付けに静かに侵入して、「過度に競争的な状況」を生み出す要因の一部となる。

近年は「所与の成果指標」に基づいて競争や努力させ、勝者には強力なインセンティブを与えるという制度が、ほとんど必然的に逆転現象を引き起こし、想定外の弊害やデメリットを生み出していく、ということが明らかになっている。成果評価と報酬の連動は、学校教育システムに止まらず、行政からの民間委託や、企業の人事評価など、今やさまざまなシーンでありふれたものになった。成果評価が弊害を生み出すメカニズムに関しては、以下の書籍に詳しい。

なお、ここまで読んだ人の中には、「競争は成長のために必要だから、子どもたちが置かれている状況がいかに過度に競争的なシステムであろうと、何の問題もない」という意見を持つ人もいるかもしれない。これに対しては、 マガジンのp.38-39で抗弁しているので、興味のある方はご一読いただきたい。

2.子どもの権利のための政策構想(1)評価

こうした状況を踏まえて、私たちはどのように、子どもの権利を推進するための子ども政策やまちづくり事業をデザインするべきだろうか。前項で、「競争は、慎重な配慮が伴わない評価によって加速する」ことを説明した。子ども政策の評価において必要なことは、成果を金銭価値に換算したり、一部分を都合よく切り取って加工したりすることではなく、慎重に配慮することだ。政策やまちづくりのデザインにおいて、専門家や特権的な立場にある人は、自らの権力や影響力を、会った事もない他者に対してたやすく働かせることができる。そのことを自覚して、慎重に配慮しなければ、子どもの権利の実現は遥かに遠い。

念のため、子どもの権利条約第12条を下記に引用する。なお、条文の内容の具体的な説明は、マガジンにも掲載している。

1.締約国は、自己の見解をまとめる力のある子どもに対して、その子どもに影響を与えるすべての事柄について自由に自己の見解を表明する権利を保障する。その際、子どもの見解が、その年齢および成熟に従い、正当に重視される。
2.この目的のため、子どもは、とくに、国内法の手続規則と一致する方法で、自己に影響を与えるいかなる司法的および行政的手続においても、直接にまたは代理人もしくは適当な団体を通じて聴聞される機会を与えられる。

子どもの権利条約 第12条

それでは、子どもの権利を推進するまちづくり実践や、地域のよりよい子ども政策の「評価」における、慎重な配慮とは、具体的にどのようなものだろうか? 筆者は、下記の3点を提言する。政策立案の担当者や、政策実施者は、これらを真剣に検討する必要があるのではないか。

1)政策決定者が、所与の成果指標を設定しないこと。
→支援者(ケアワーカー)や子ども自身が本当に重要だと考えることを、評価の対象に、ひいては政策や事業の目的にすべきである。子どもの権利のための政策やまちづくり事業のデザインにおいては、これを可能にするプロセス設計こそが最も肝要である。

2)成果指標に基づいて競争させ、勝者には強力なインセンティブを与える、ということをしないこと。
→子ども自身の幸せや学びや育ちと競争は、本来何の関係もない。成果評価とインセンティブの組み合わせは、子どもの権利を推進するまちづくり実践や子ども政策そのものを、たやすく過度に競争的な環境に変化させるであろう。しかし、その状況は本来の目的からの逸脱を生むため、一義的には避けるべきだ。もし競争が必要なのであれば、その指標は成果ではなく、「あるべき過程や条件」の中から設定されたほうが、弊害や本来の目的からの逸脱が生じにくい。そして、「あるべき過程や条件」は、勝者や特権的な立場の人間だけでなく、まちづくりや子どもに関わるより広範な人々の合意によって定めることで、より正当で妥当なものとなる。当然ながら、”広範な人々”には、子どもたち自身を含む。

3)評価の対象を「政策や事業の対象者」としないこと。
→(評価のバイアスを避けるための徹底的に慎重な配慮がされていない限り)評価の対象を「政策や事業の対象者」とした場合、彼らの変化こそが注目すべき、起こすべき事象となり、当初から想定し得ない新たな抑圧や弊害が生じやすくなることが懸念される。評価の対象は「政策や事業の実施体制や実施過程」としたほうが、より小さな者への抑圧を回避しやすいのではないだろうか。

【参考】
ふりかえり評価:情報公開ページ …当団体メンバーが開発に参加するNPO評価の手法。

よだか総研は、岐阜県の本巣市や揖斐川町を中心に、保育士・日本評価学会認定評価士・岐阜県コミュニティ診断士などのメンバーが、子どもの権利を推進するまちづくり実践や、よりよい子ども政策の実現に関する事業を展開しています。当団体へのご相談・ご依頼はこちらから

(文責:小池)